今月のワンポイントアドバイス2003年版
   2003年1月 「メリの音色」
   2003年2月 「力を抜く」
   2003年3月 「もっと力を抜く」
   2003年4月 「疑似体験」
   2003年5月 「止まる音、動く音」
   2003年6月 「調子の良い、悪い」
   2003年7月 「上下唇の役割」
   2003年8月 「自転車に乗れるようになるまで」
   2003年9月 「わざと間違う」
   2003年10月 「流れに合ったなやし、打ち」
   2003年11月 「なやし?、かむり?、振り?」
   2003年12月 「暖かい息、冷たい息」

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2003年 1月 「メリの音色」

 年の初めにちょっと大胆な仮説を申し上げます。でもやっぱりメリに関してなのですが。。。
 ある時、私(柿堺)が門人に本曲の稽古をしていた時のことです。ツのメリから始まる曲だったのですが、出だしの音がとても不似合いな音に聞こえました。メリが不十分で音程が高めだったというのもあるのですが、どうもそれだけが違和感の理由ではないようでした。
 その門人は出だしの音を十分な音量で出そうとしていたために音程が高めになっていたようです。しかし、音程だけ問題にするなら、他の音をカリぎみにすればなんとかなる場合もあります。問題はどうやら「メリの音色」にあるようです。

 大胆な仮説とは「メリはその音色が必要である 」ということなのです。

 そして、この「必要な音色」を得るためには「音程」を正しいところまで持っていかないと得られない、という事です。
 また、重要度でいうなら最後になるのが「音量」です。
 メリはすべてではありませんが、瞬間的にほんの一瞬よぎった、という感じでも十分にその存在を示せる場合があります。そういう場合は「音量」を無理に出す必要はなく、メリとして存在意義のある「音程と音色」があれば十分なのです。

 やっぱり、今年もメリの音程が大事です。

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2003年 2月 「力を抜く」

 尺八を演奏する場合に限らず、いろいろな時に「力を抜く」ということが大切です。
 尺八の場合、思った音が出なかったり、メリをしっかりだそうとしたり、大きな音を出そうとしたときに、ついつい不必要な力が入ってしまうものです。「わかっちゃいるけど止められない」ということでしょうか。
 なんとかその無駄な力を抜くためにいろいろ工夫をしています。この「工夫」というのは主にイメージです。どんなイメージを持つかで体の使い方が上手く行ったりそうでなかったりします。

 人をリラックスさせるときに、椅子にすわって腕をだらんと下げた状態にして、その腕が「重くなったようなイメージを持って下さい」とか「手のひらが暖かくなったと思って下さい」というイメージの方法があります。
 尺八を吹く時にこれを使ってみて下さい。実際には腕をだらんと下げるわけにはいきませんから、尺八をかまえた状態で、肩から肱のあたりが重くなった感じ、あるいは暖かくなった感じをイメージしながら吹いてみてください。腹筋はある程度力が入らないと必要な息の圧力を保てません。腹筋に力を入れていくのに合わせて、このイメージ方法を使ってみて下さい。

 もう一つ。力が入ってくると、肱の角度が小さくなる方向になります。これは、尺八を顎に必要以上に強くおしつけることになります。肱の角度を広げるイメージを持つことも力を抜くことにつながります。

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2003年 3月 「もっと力を抜く」

 先月のワンポイントアドバイスで「力を抜く」お話をしました。その中で「肱の角度が小さくなる」ということもお話ししましたが、ちょっと不足がありました。
 「肱の角度」だけでなく「脇の下の角度」も力がはいると小さくなります。
 そこで椅子に座って演奏する場合に「肱が膝に近付く」イメージを持つことで腕の力が抜け、肩の力もぬけていくようです。お試し下さい。

 また、先月のワンポイントアドバイスを読んだ、このページを英語に訳してくれているZachary Bravermanさんがとてもよいアドバイスを下さいました。それは、腕をリラックスさせるためのイメージとして、「手から水が流れるイメージ」をもつのだそうです。
実際、私の門人でもこのイメージを持つことによって、無駄な力を抜くことが出来たという例があります。

 ワンポイントアドバイスに載っていたイメージ方法にこだわることはありません。皆さんそれぞれ御自分にあったイメージを作り上げてそのイメージを有効に使ってください。

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2003年 4月 「疑似体験」

 水泳の世界での話なのですが、APM(アシステッド・パワー・マシン)という特殊な機械が開発されているのだそうです。
 これは水中のマシンで水泳選手の体につけたワイヤーを引っぱることで、神経に世界のスピードを覚えさせるものだそうです。
 従来は同じ「体につけたワイヤーを引っぱる 」でも進行方向と逆で、負荷を掛けるという考え方でした。(これも今でも行われているかも知れませんが。)新しい考え方では、進行方向にひっぱるのです。そうすると自分の能力以上のスピードで泳ぐことになります。世界記録のスピードを肌で感じる事になるのです。
 体験すると、していない場合に比べて、そこに近付くことが断然容易になるのです。これは運動の世界だけの話ではありません。APMと同じ環境が尺八の世界にもあるのです。
 つまり、良い師匠(良い音を出す人、音程の確かな人。。。)と「一緒に」吹く事で、素晴らしい音の世界を疑似体験する事になります。そういう世界があるのだということを単に「知っている」ではなくて「体験」していることが大切です。
 CDと一緒に吹くのも悪くはありませんが、なまの音で体験できるとその効果は、とても有効になります。

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2003年 5月 「止まる音、動く音」

 「音が止まる」とか「音が動く」というと妙な感じがするかもしれません。
 他の表現で「音が止まる」を言うならば、「何も変化していない」音の状態と言う事ができると思います。逆に「音が動く」時は「何かが変化している」音の状態と言えます。

 この「音が止まる」瞬間は緊張感をつくり出します。また、「音が動く」事によって流れをつくることができます。本曲に限らず、この2つを名人は自由に使い分けています。

「音が動く」感じは音量を変化することでつくり出す事ができます。「音が止まっている」状態から音量を変えていく事で実現できます。

 「音が動く」に比べて断然難易度の高いのは「音が止まる」状態をつくり出す事です。「音が止まる」状態は「何も変化していない」状態と書きましたがこれは、「音程」「音色」「音量」といった音の要素が変化しない事です。尺八は吹くことによって音が出る楽器ですから、吹いている間に肺にたまっていた空気は当然少なくなっていきます。この「使える空気の減少」が上記の3つの要素に大きく影響をしてしまうのです。「使える空気の減少」にもかかわらずこれらの要素が一定になるように腹筋や口の周囲の筋肉、唇などのバランスをコントロールしなければなりません。

 これを獲得するためには、、、やっぱり毎日ロ吹き10分です。

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2003年 6月 「調子の良い、悪い」

 「調子の良い、悪い」ということは、日常の生活の中にもたくさん有ります。
 「体調」の善し悪しと言う事も有ります。スポーツ選手も「調子が良い、悪い」ということをしばしば言います。当然尺八の演奏にも言える事では有ります。

 思ったように音がでない、すぐに息がなくなってしまう、音程のコントロールが上手く行かない、、、、、などなど。録音をして聞いてみた時に、実際いつもより悪い状態であることもあります。  
 ところが、自分が思っているほど悪い状態でない事があります。また、これと逆に自分が思っているほど良い状態でないこともあります。
 これには、その状態を判断する体の中のセンサーが必ずしも一定の判断基準ではない事が考えられます。つまり、センサーの状態が悪くて、本当は普通の状態なのに、調子が良いと判断してしまっている。また、センサーの状態がとても良くて、普通の状態を、調子が悪いと判断してしまっている。このような事があり得るのです。

 このようなことに精神状態が左右されて集中力を欠くのがとても良く有りません。

 自分で感じているほど調子の善し悪しは表に出ないものです。
 絶好調と思っても、ひどい調子と思っても、実力は正直に表れます。これは、戒めであり、救いです。
 特に本曲の世界では「その人」がハッキリ出ます。

 毎日の「ロ吹き10分」は集中力や表面的な調子の波に左右されない精神状態を作る事にも役立ちます。

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2003年 7月 「上下唇の役割」

 尺八を吹く時に「唇はリラックスして」ということをいろいろなところで聞く事があると思います。無駄な力をぬく、横に強く引っ張らない、などなど。
 これらは間違ってはいないのですが、よくよく唇の動きを観察してみたところ、必ずしも「唇はリラックスして」と一言で言えないのではないかと思い始めました。 上下唇にそれぞれ役割があってリラックスばかりではないようなのです。
 上唇の役割は、息の流れを押さえ付ける様な動きが必要です。それと違って下唇は息の流れに押されてめくりかえる動きが必要です。特に上唇の動きが必ずしも「リラックス」ではないようです。
 一言で言うとこうなるのですがなかなか実現は難しい、とも言えますが多くの皆さんが「今日は楽に良く鳴るな」と思っている時にはできていることです。
 上唇の動きは言葉を変えると「上唇が上の歯の方へ巻き込む感じ」です。決して横方向にひっぱるのではありません。また、下唇の動きは「ぬれた部分が息の圧力で唇が前方向に回転して出て行く感じ」です。
 意識してこの動きを再現する事で良い状態をいつでも再現できるようになることでしょう。

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2003年 8月 「自転車に乗れるようになるまで」

 一旦、自転車に乗れるようになると、1年乗らなくても次に乗ったときにすぐに乗れます。
 ところが、練習はしても乗れないままでいると、1年後に乗ろうとしたときにまた1から練習しなくてはなりません。つまり、あるレベルに達すると練習したことが強固に身に付くのです。
 尺八も全く同じことが言えます。一定期間集中して練習すると(そして大きな舞台で成功するとなお良い)あるレベルに達します。そうすると、ある期間の後にその曲に取り組んだときに、前回よりずっと早く高いレベルに達することができます。
 ところが、一定期間の集中した練習が足りないと、次回また初めから練習しなくてはならなくなるのです。
 このことは特に「間」で作られる本曲において顕著であるように思います。
 カウントすることで時間を管理する音楽は次の音をいつ出すかということに対してあまり神経をつかわなくていいのかもしれません。楽譜を見て指定の音の長さを再現すればとりあえず間違いではありません。
 ところが、本曲の音の長さ、あるいは沈黙の長さである「間」はこのような捉え方はできません。自転車で転びそうになったときに何故それを回避できるのか。その瞬間に理屈で考えている人がいないのと同じように本曲の「間」も身に付いたものでなくてはならないのです。
 そのために、、、、まずは「暗譜」するくらいまでの練習が必要です。

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2003年 9月 「わざと間違う」

 例えば、高い(正しくない)ツのメリに、傾向があることにお気づきでしょうか。
 息を吸った後は十分余裕がありますから、ツのメリを用意することが、し易いと思います。
 ところが、ツからツのメリ、レからツのメリ、チからツのメリとなるにしたがって難易度が増していきます。難易度が増すと当然音程が高くなっていきます。より正しくしようと思ってもその正しいと思う感覚がずれているので、いくら練習してもなおりません。
 何年もの間、同じ傾向が直らずにいる方はその「正しいと思う感覚」がずれているので、これは決して直りません。

 「確実に間違ったことをやっている」とも言えます。

 ではどうするか。   「わざと間違う」のです。

 余裕をもって出すツのメリと、チから行くツのメリは同じ感覚ではだめなのです。難易度の高い方はより深くメルつもりにならないと正しい音程にはなりません。「低いツのメリ(間違ったツのメリ)」を出そうとしなければいけません。
 2002年12月のワンポイントアドバイスに「割増のメリ、割引のメリ」という表現でこのことは書きましたが、様々なことにこの「わざと間違う」方法が有効です。

 音量を変化させようとしても多くの方の考えている変化の量では不充分なことが多いのです。変化させすぎている人はまずいません。音量を「正しい」と思う範囲を越えて変化させて録音してみてください。あっと驚くほど良い感じに聞こえます。
 ビブラートもそうです。漠然と正しいだろうと思っているやりかたでは聞く人にまず伝わりません。「これはやりすぎ、間違い」と思うほどビブラートをかけて録音してみてください。

 「わざと間違う」感覚がわかってくると今の停滞状態を抜け出せます。

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2003年10月 「流れに合ったなやし、打ち」

 本曲の中にたくさん使われる「なやし」ですが、簡単なようで、なかなかうまくいかないものです。
 もちろん音程が落ちきらないことが非常に多いのです。

 まず国際尺八研修館で講習する古典本曲での「なやし」のおさらいをしておきましょう。
ロ、ツ、レ、チ、リのなやしは一音下まで、ツのメリ、ウは半音下までです。

 この「なやし」のスピードをどうするか。実はなかなか難しいことです。
 すべてのなやしが全く同じ形ではとてもつまらないのです。大きな波の様に動かすか、素早い波の様にするか。名人の演奏を「なやしのスピード」という観点から聞き直してみてください。
 名人はどうしているかというと、、、流れが早い時はなやしも早め、ゆるやかな流れの時はなやしもゆるやかなのです。
 一言で言うととても簡単なことですが。。。。

 これと同じことが「打ち」にも言えます。一息のフレーズの中で何度か打つことがあります。
例えば「ヒイーーーーヒイーーヒイーヒ」というフレーズの中で二つ目の「ヒ」と三つ目の「ヒ」はどちらも五孔の打ちと捉えることができますが、その五孔を閉じている僅かな時間に違いがあるのです。
何故かと言うと「ー」で示したように、後半になるに従って流れが早めになっていきます。この流れに合わせて、打ちが変わっていくのです。

 流れに応じた様々な変化。あぁ、むつかしい!

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2003年11月 「なやし?、かむり?、振り?」

 前回のワンポイントアドバイスで取り上げた「なやし」ですが、これについて御質問を頂きました。
 同じような音の動きを示す言葉に「なやし」「かむり」「振り」などあってこれらがどうちがうのか、あるいは定義はあるのかというものでした。

 結論から申し上げると、「はっきりした使い分けは無さそうだ」ということです。
 ちょっと曖昧ですが、たとえば琴古流本曲の中に出てくるゆったりとした音の動きには「なやし」が適当であるという考え方もあるようです。この場合も古典本曲の中の早い動きのもについてどのくらいの早さから呼び名が変わると言うことは無い様です。古典本曲の中で使われる事のある「かむり」に関しても、流れの中でその早さが変わりますが、ある遅さ以下を違う呼び名で呼ぶ事はありません。

 また、これらの動きを表現する場合に「振りが浅い」とか「もっとえぐって」と言う事がしばしばあります。この表現から「振り」という使い方が発生し、「2行目の振りをもっと大きく」というように使われるようです。

 いずれにしても定義がはっきりしたからと言って良い音楽表現になるわけではありません。その場に応じた、これしか無いと言う表現を見つけて下さい。

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2003年12月 「暖かい息、冷たい息」

 今までにこのワンポイントアドバイスでは尺八を吹く時の唇から口の中の最善と思われる状態を色々な表現で述べてきました。
 具体的なイメージを持ち易い表現もありますし、イメージしにくい表現もあったかと思います。
 今回また唇から口の中の状態を表現するイメージをお伝えします。
  今回の表現は今までの中でもっとも抽象的なものではないかと思いますがとても分りやすいと思います。

 尺八は持たずに、唇を尺八を吹く状態にして、手のひらに息を吹きかけてみてください。
 その息の温度が冷たく感じるような吹き方があります。これと反対に息が暖かく感じるような吹き方もあります。
 この二種類の吹き方のうちで、暖かく感じる吹き方で尺八を吹く事が大事です。

 この表現のなかには具体的にどこをどうしたら良いというのがありません。でも非常にわかりやすい表現でもあります。
 暖かい息にしようとすると自然と口の中が広がります。また唇に力が入ると冷たい息になりやすいようです。
 調子が良い時はよけいなことは考えなくてもいいのですが、調子が悪い時に、何か、状態を改善できるイメージを持っていると良いと思います。
 今回の「暖かい息、冷たい息」のイメージは悪い状態を改善するのにとても役に立つと思います。
 試してみてください。

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